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6月7日は何の日

6月7日は「母親大会記念日」「緑内障を考える日」です。

他には「世界食品安全デー」など全4個の記念日があります。

月日 記念日
6月6日 「楽器の日」「いけばなの日」
6月7日 「母親大会記念日」「緑内障を考える日」
6月8日 「成層圏発見の日」「世界海洋デー」
月日 出来事
6月6日 ロンドンでYMCA(キリスト教青年会)が誕生(1844年)
6月7日 浦上四番崩れ – 明治政府が隠れキリシタンを流罪にする(1868年)
6月8日 日本二十六聖人 – パウロ三木ら26人が列聖される(1862年)
誕生日 偉人
6月6日 スカルノ(インドネシア建国の父)
6月7日 ポール・ゴーギャン(ポスト印象派の画家)
6月8日 アントナン・カレーム(料理の王)
誕生日 誕生花 花言葉
6月6日 ペンステモン 「あなたに見とれています」
6月7日 クチナシ 「とても幸せです」「喜びを運ぶ」「洗練」「優雅」
6月8日 ジャスミン 「愛想のよい」「優美」「愛らしさ」「官能的」
今日の名言

打たないシュートは、100%外れる。
- ウェイン・グレツキー -
(カナダの元プロアイスホッケー選手 / 1961~)

元気が出る名言 心に響く名言
以下では6月7日の記念日の由来日本や世界の代表的な出来事、6月7日生まれの有名人誕生花などをご紹介します。
今日は何の日(366日カレンダー)

6月7日の記念日・行事

6月7日の記念日・行事は「母親大会記念日」「緑内障を考える日」などです。

母親大会記念日

1955年(昭和30年)6月7日、東京の豊島公会堂で2000人が参加して第1回母親大会が開催されました。

1954年(昭和29年)に行われたアメリカのビキニ環礁水爆実験に対し、思想家の平塚らいてう(1886~1971)らが抗議したことをきっかけに、1955年(昭和30年)7月にスイスのローザンヌで第1回世界母親大会が開催されました。

第1回世界母親大会では戦争防止、国際的相互理解、核武装・核実験反対などが確認されました。その準備大会を兼ねて第1回母親大会が東京で開催されました。

現在も「生命を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」のスローガンを掲げ、「子どもと教育」「くらし」「権利」「労働」「平和と民主主義」「女性の地位向上」などをテーマに日本母親大会が毎年開催されています。

母

【関連・参考サイト】
日本母親大会
日本母親大会(Wikipedia)
平塚らいてう(Wikipedia)

緑内障を考える日

中途失明の原因として最も多いとされる緑内障について広く考え、一年に一度は緑内障の検診を受けるようにと呼びかけるため、緑内障フレンド・ネットワークが制定。

日付は「りょく(6)ない(7)」(緑内)と読む語呂合わせから。

緑内障と白内障

「緑内障」
緑内障は、視神経に障害が起こり、見えない部分である暗点が出現することで、視野が欠けたり狭くなる病気のことです。進行すると視野が欠ける範囲が広くなっていきます。

原因は、眼圧の上昇による視神経の障害や遺伝などです。40歳以上の20人に1人、60歳以上の10人に1人以上が緑内障になっていると報告されています。

ほとんどの場合、自覚症状がなく、気が付いたときには視野の欠損が進行していることもあるため、早期発見・早期治療が大切とされています。

一度傷ついてしまった視神経は元に戻せないため、症状が進行しないように、点眼薬で眼圧をコントロールします。

「白内障」
白内障は、黒目の中にある透明のレンズ(水晶体)が白く濁ってしまう病気のことです。濁りによって光が通りにくくなり、物がかすんだりぼやけて見えたりします。

主な原因は加齢です。早い人では40代から始まり、60代で60%以上、80歳以上になるとほとんどの方が白内障になるといわれています。

一度濁ってしまった水晶体は元に戻らないので、視力回復の治療には手術を行います。

ガーデンハウス

【関連・参考サイト】
緑内障(Wikipedia)
白内障と緑内障の違い、知っていますか?(岡山市立市民病院 WEBマガジン)
眼科が教える白内障と緑内障の違い(しのはら眼科)
緑内障フレンド・ネットワーク

6月7日の記念日一覧

6月7日の記念日は全部で4個あります。

はじまり

初めての日や始まりの日に基づく記念日です。
「はじまり」記念日一覧

6月7日の記念日(はじまり)
母親大会記念日 1955年(昭和30年)6月7日、東京の豊島公会堂で2000人が参加して第1回母親大会が開催されました。
1954年(昭和29年)に行われたアメリカのビキニ環礁水爆実験に対し、思想家の平塚らいてう(1886~1971)らが抗議したことをきっかけに、1955年(昭和30年)7月にスイスのローザンヌで第1回世界母親大会が開催されました。その準備大会を兼ねて第1回母親大会が東京で開催されました。
現在も「生命を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」のスローガンを掲げ、「子どもと教育」「くらし」「権利」「労働」「平和と民主主義」「女性の地位向上」などをテーマに日本母親大会が毎年開催されています。

病気・医療

病気や医療に関する記念日です。
「病気・医療」記念日一覧

6月7日の記念日(病気・医療)
緑内障を考える日 中途失明の原因として最も多いとされる緑内障について広く考え、一年に一度は緑内障の検診を受けるようにと呼びかけるため、(一社)緑内障フレンド・ネットワークが制定。
日付は「りょく(6)ない(7)」(緑内)と読む語呂合わせから。
むち打ち治療の日 一般的に治らないものと考えられているむち打ち症。しかし、きちんと治療すればほとんどの症状が改善することから、あきらめずに治療しましょうと呼びかける日にしたいと、(一社)むち打ち治療協会が制定。
日付は「む(6)ち打ちをな(7)おそう」と読む語呂合わせから。

国際デー

国連やWHO、ユネスコなどの国際機関が制定した記念日(国際デー)です。
「国際デー」一覧

6月7日の記念日(国際デー)
世界食品安全デー 食品安全についての関心を高め、食品に由来する病気を防ぐための行動を促すため、国連総会で制定。
この日に合わせて、食品の安全に関する活動が世界各地で行われます。

毎月7日の記念日一覧

毎月7日の記念日
生パスタの日 素材の風味、味、コシなど、生パスタの魅力をより多くの人に知ってもらいたいと、全国製麺協同組合連合会が制定。
日付は「な(7)まパ(8)スタ」(生パスタ)と読む語呂合わせから毎月7日と8日に。
Doleバナ活の日 栄養価の高いバナナを継続的に食べることで健康になる活動「バナ活」を広めるため、(株)ドールが制定。
日付は、バナナは一年を通じて販売されていることと、「バナナ(7)」と読む語呂合わせから毎月7日に。

【関連・参考サイト】
6月7日(Wikipedia)
日本記念日協会

6月7日の出来事

6月7日の出来事は「スペインとポルトガルがトルデシリャス条約を締結 – スペインがアメリカ大陸のほぼ全域で優先権を得る(1494年)」「浦上四番崩れ – 明治政府が隠れキリシタンを流罪にする(1868年)」「バビロン作戦 – イスラエル空軍機がイラクの原子炉を爆撃(1981年)」などです。

浦上四番崩れ – 明治政府が隠れキリシタンを流罪にする(1868年)

原爆投下前の浦上天主堂
原爆投下前の浦上天主堂

1868年(明治元年) 6月7日、太政官達により、長崎・浦上村の隠れキリシタンが流罪となりました。

幕末の1865年2月、日仏修好通商条約(1858年)にもとづいて、フランス人の礼拝堂として長崎に「大浦天主堂」が建設されました。正式名は「日本二十六聖殉教者聖堂」といい、日本二十六聖人(豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者)に捧げられた教会です。

完成から約1か月後、浦上村から15人ほどの男女が大浦天主堂を訪れ、神父にキリスト教の信仰をもっていることを告白。神父は驚き喜び、「信徒発見」をフランスとローマに報告。東洋の奇跡としてヨーロッパ中に伝えられました。

その2年後の1867年、浦上村の信徒たちが仏式の葬儀を拒否したことで信徒の存在が明るみに出ると、信徒は江戸幕府によって捕縛され拷問を受けました。この事件を聞いた欧米の公使らは即座に抗議しました。

翌年誕生した明治政府もキリスト教禁止政策を引き継ぎ、1868年6月7日に捕縛された信徒の流罪が決定されました。流刑先では数多くの拷問を加えられ、その過酷さと残虐さは旧幕時代以上であったといわれます。

これが欧米諸国に伝わり、日本は激しい非難を受けました。明治政府はキリシタン弾圧が不平等条約の改正の障害になっていると判断。1873年(明治6年)2月にキリシタン禁制の高札を撤去し、信徒を釈放しました。

各地に配流された信徒3394人のうち662人が命を落としました。生き残った信徒たちは流罪の苦難を「旅」と呼んで信仰を強くし、1879年(明治12年)に浦上に「浦上天主堂」を建てました。

浦上天主堂は1945年(昭和20年)の原爆投下によって破壊され、1959年(昭和34年)に再建されました。

【関連・参考サイト】
浦上四番崩れ(Wikipedia)
カトリック浦上教会(Wikipedia)

6月7日の出来事一覧

6月7日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。

6月7日の出来事
スペインとポルトガルがトルデシリャス条約を締結 – スペインがアメリカ大陸のほぼ全域で優先権を得る(1494年) 1494年6月7日、スペインとポルトガルの間で「トルデシリャス条約」が締結されました。
この条約はコロンブスの新世界(新大陸)発見(1492年)を受け、両国が大西洋の植民地の優先権を定める目的で結んだ条約です。
この条約によりスペインはアメリカ大陸の全域(ポルトガル領となったブラジルを除く)で優先権を持つことができました。
一方、フランスやイギリス、オランダなどは領土獲得の優先権から締め出されるかたちとなりました。
トルデシリャス条約(Wikipedia)
浦上四番崩れ – 明治政府が隠れキリシタンを流罪にする(1868年) 1868年(明治元年) 6月7日、太政官達により、長崎・浦上村の隠れキリシタンが流罪となりました。
幕末の1865年にフランス人の礼拝堂として長崎に「大浦天主堂」が建設され、完成後に浦上村から15人ほどの男女が訪れ、神父にキリスト教の信仰をもっていることを告白しました(信徒発見)。
その2年後の1867年、浦上村の信徒が仏式の葬儀を拒否したことでその存在が明るみになり、信徒は江戸幕府によって捕縛され拷問を受けました。
翌年に誕生した明治政府もキリスト教禁止政策を引き継ぎ、1868年6月7日に信徒の流罪を決定。流刑先では拷問が行われました。
これが欧米諸国に伝わると日本は激しい非難を受け、明治政府はキリシタン弾圧が不平等条約の改正の障害になっていると判断し、1873年2月に信徒を釈放しました。
各地に配流された信徒3394人のうち662人が命を落とし、生き残った信徒たちは1879年に「浦上天主堂」を建てました。
浦上四番崩れ(Wikipedia)
バビロン作戦 – イスラエル空軍機がイラクの原子炉を爆撃(1981年) 1981年(昭和56年)6月7日、イスラエル空軍機がイラク領空に侵入し、イラクのバクダッド近郊で建設中だった原子力発電所を爆撃・破壊しました(バビロン作戦)。
イスラエルは、イラクが核兵器を持つ危険性があるとして、先制的自衛を理由に先制攻撃を行ったとしましたが、イスラエルは国際社会から非難されました。
イラク原子炉爆撃事件(Wikipedia)

6月7日生まれの偉人・有名人

6月7日生まれの偉人・有名人は「ポール・ゴーギャン(ポスト印象派の画家)」「プリンス(ミュージシャン)」「小林武史(音楽家)」などです。

ポール・ゴーギャン(ポスト印象派の画家)

ポール・ゴーギャン

1848年6月7日、ポール・ゴーギャンは、フランスのパリに生まれました。

父が共和主義者のジャーナリストだったため、1851年にナポレオン3世がクーデターを起こして独裁権力を掌握すると、一家は南米ペルーに亡命。しかし船中で父を亡くし、母とポールらはペルーのリマに住む叔父を頼って4年間を過ごし、7歳のときにフランスに戻りました。

17歳のときに見習いの船乗りになり世界中の海を巡り、20歳から2年間は兵役でフランス海軍に入隊しました。

1871年(明治4年)、23歳のときにパリに戻り、証券取引所の株式仲買人になりました。25歳のときに結婚し5人の子どもをもうけています。

株式仲買人の仕事を始めたころから、余暇に絵を描くようになったゴーギャンは1883年(明治16年)、35歳のときに仲買人を辞めて画家に専念しました。

ゴーギャンは、はじめに印象派のカミーユ・ピサロとポール・セザンヌに学んでいます。

1888年(明治21年)、40歳のときにポスト印象派のゴッホと南仏アルルで2か月間共同生活をした際、ゴッホがみずからの左耳を切り落とす事件が起こりました。

1891年(明治24年)、43歳のときから南太平洋にあるフランス領ポリネシアのタヒチを旅行。現地にアトリエを構えて作品を描きました。

1893年(明治26年)に帰国後、パリの美術界で孤立したゴーギャンは1895年(明治28年)に再びタヒチへ向かい、10年余り滞在したタヒチで数々の傑作を残しました。

1901年(明治34年)にフランス領ポリネシアのマルキーズ諸島に移り、1903年(明治36年)5月にポール・ゴーギャンは54年の生涯を閉じました。

ゴーギャンは、外界を感覚的にとらえる印象派の自然主義を否定し、眼に見えない内面や神秘の世界、理念や思想の表現を志向したポスト印象派の画家であり、ポスト印象派のゴッホ、セザンヌとともに、20世紀美術に大きな影響を与えました。

ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897 – 1898)
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

【関連・参考サイト】
ポール・ゴーギャン(Wikipedia)
タヒチ島(Wikipedia)

6月7日生まれの偉人・有名人一覧

6月7日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。

6月7日生まれの有名人
誕生日 有名人 職業 年齢
1825年6月7日 ギュスターヴ・エミール・ボアソナード フランスの法学者、教育者(日本近代法の父) 85歳没
1848年6月7日 ポール・ゴーギャン フランスの画家 54歳没
1949年6月7日 岸部四郎 俳優 71歳没
1958年6月7日 プリンス アメリカのミュージシャン 57歳没
1959年6月7日 小林武史 音楽家、音楽プロデューサー 65歳
1961年6月7日 手塚理美 女優 63歳
1977年6月7日 矢部美穂 タレント 47歳

6月7日の誕生花

6月7日の誕生花は「クチナシ」「ツツジ」「ベンジャミン」「ホワイトレースフラワー」です。

6月7日の誕生花
誕生花 花言葉
クチナシ 「とても幸せです」「喜びを運ぶ」「洗練」「優雅」
ツツジ 「節度」「慎み」
ベンジャミン 「融通のきく仲間」「信頼」
ホワイトレースフラワー 「可憐な心」「細やかな愛情」「感謝」
花言葉の由来

クチナシの花言葉は「とても幸せです」「喜びを運ぶ」などです。

「喜びを運ぶ」は、初夏の風に乗って漂うクチナシの甘い香りに由来します。

「とても幸せです」は、アメリカで女性をダンスパーティーに誘うときにクチナシの花を贈ることから、誘われた女性の気持ちを表しているといいます。

クチナシ(開花時期:6月~7月)
花言葉:「とても幸せです」「喜びを運ぶ」「洗練」「優雅」
西洋の花言葉:「I’m too happy(私はとても幸せです)」「transport of joy(喜びを運ぶ)」

クチナシ
photo: Carol VanHook

ツツジ(開花時期:4月~5月)
花言葉:「節度」「慎み」
西洋の花言葉(アザレア):「temperance(節制、禁酒)」「take care of yourself for me(私のためにお体を大切に)」「fragility(もろさ、はかなさ)」

ツツジ
photo: gtknj

ベンジャミン(観葉植物)
花言葉:「融通のきく仲間」「信頼」

ベンジャミン
photo: Son of Groucho

ホワイトレースフラワー(開花時期:5月~6月)
花言葉:「可憐な心」「細やかな愛情」「感謝」

ホワイトレースフラワー
photo: Mark
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