1856年7月26日に現在のアイルランドの首都ダブリンに生まれたジョージ・バーナード・ショー。
その名言には「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである」などがあります。
「他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した」としてノーベル文学賞を受賞したバーナード・ショーの生涯と名言をご紹介します。
目次
ジョージ・バーナード・ショーの生涯
1856年7月26日、ジョージ・バーナード・ショーは、現在のアイルランドの首都ダブリンに生まれました。
一族はもともとスコットランド貴族で、17世紀にアイルランドへ移住したピューリタンの家柄でした。
父は法務省の役人をやめて穀物卸売商を営み、母は地方の紳士階級の出身で芸術を愛好する女性でした。
1871年(明治4年)、15歳のときに学校を卒業し、ダブリンの土地仲介業者のもとで働き始めました。
1876年(明治9年)、20歳のときにロンドンへ移住し、音楽評論家のゴーストライターなどを始めました。
その後、社会主義に傾倒。28歳のときにフェビアン協会(イギリスの社会主義知識人による運動。イギリス労働党の基盤の団体)に入会し、パンフレットの作成や講演などで活躍しました。
1879年(明治12年)、23歳のときから小説の執筆を始めましたが、小説家として認められることはありませんでした。その後、新聞や雑誌に美術批評、音楽批評、書評などを書いています。
1892年(明治25年)、36歳のときに戯曲『やもめの家』で劇作家としてデビューし、その後も精力的に戯曲を書き続けました。
1925年(大正14年)、69歳のときに「他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した」としてノーベル文学賞を受賞。賞金を寄付するという条件で受賞しました。
1950年(昭和25年)11月、ジョージ・バーナード・ショーは94年の生涯を閉じました。
【関連・参考サイト】
ジョージ・バーナード・ショー(Wikipedia)
バーナード・ショーの名言(1)
間違った知識には注意せよ。
それは無知よりも危険である。- バーナード・ショー -
為すべきことは熱を与えることではなく、光を与えることなのだ。- バーナード・ショー -
人類同胞に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。
それこそ非人間性の本質である。- バーナード・ショー -
酒は人生という手術を耐えさせてくれる麻酔薬だ。- バーナード・ショー -
愚か者は、自分が恥ずべきことをするとき、それは自分の義務だと言い張るものだ。- バーナード・ショー -
いつも自分をきれいに明るく磨いておくように。
あなたは自分という窓を通して世界を見るのだから。- バーナード・ショー -
間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。- バーナード・ショー -
近代の社会においては、確信のない金を持っている男は、節操のない、貧しい女よりもさらに危険である。- バーナード・ショー -
人間ってものは自分が無鉄砲で悪い者であると思いたがる。
だが、実はそのどっちでもない。
ただ臆病だというだけさ。- バーナード・ショー -
人生における真の喜びは、偉大だと思える目的のために生きることである。- バーナード・ショー -
情熱なき人は善人にも悪人にもなれず。- バーナード・ショー -
何かがおかしい時は、真実が隠れてないか気をつけろ。- バーナード・ショー -
できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。- バーナード・ショー -
人類から愛国心を叩き出さないかぎり、決して平穏な世界に住むことはできないだろう。- バーナード・ショー -
人生とは自分を見つけることではない。
人生とは自分を創ることである。- バーナード・ショー -
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