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5月17日は何の日

5月17日は「お茶漬けの日」「高血圧の日」です。

他には「多様な性にYESの日」など全5個の記念日があります。

月日 記念日
5月16日 「旅の日」
5月17日 「お茶漬けの日」「高血圧の日」
5月18日 「国際博物館の日」
月日 出来事
5月16日 田部井淳子が女性初のエベレスト登頂に成功(1975年)
5月17日 最初の屯田兵が北海道に入植(1875年)
5月18日 アメリカ最高裁が「公共施設での黒人分離は人種差別に当たらない」とする判決(1896年)
誕生日 偉人
5月16日 マリア・ガエターナ・アニェージ(数学者)
5月17日 エリック・サティ(作曲家)
5月18日 バートランド・ラッセル(哲学者、平和運動家)
誕生日 誕生花 花言葉
5月16日 アリウム 「深い悲しみ」「正しい主張」
5月17日 フクシア 「つつましい愛」「信じる愛」
5月18日 ペチュニア 「あなたと一緒なら心がやわらぐ」「心のやすらぎ」
今日の名言

あなたの苦しみを愛しなさい。
それに抵抗しないこと、それから逃げないこと。
苦しいのは、あなたが逃げているからです。
それだけです。

- ヘルマン・ヘッセ -
(ドイツの小説家、詩人、ノーベル文学賞受賞 / 1877~1962)

元気が出る名言 心に響く名言
以下では5月17日の記念日の由来日本や世界の代表的な出来事、5月17日生まれの有名人誕生花などをご紹介します。
今日は何の日(366日カレンダー)

5月17日の記念日・行事

5月17日の記念日・行事は「お茶漬けの日」「高血圧の日」などです。

お茶漬けの日

お茶の製法を発明し、煎茶の普及に貢献した永谷宗円(宗七郎)。

その10代目の子孫にあたる永谷嘉男氏が創業し、1952年(昭和27年)にインスタントのお茶漬け商品「お茶づけ海苔」を発売した株式会社永谷園が制定。

日付は永谷宗円の偉業をたたえ、その命日(1778年5月17日)に由来します。

緑色のお茶を生み出した永谷宗円

永谷宗円(宗七郎)は、江戸時代初期の1681年に現在の京都府宇治田原町湯屋谷の宇治茶栽培農家に生まれました。

当時、庶民は味の劣る黒っぽい煎茶を飲んでいましたが、宗円は15年もの歳月をかけて1738年に「青製煎茶製法」を考案し、味のすぐれた緑色の煎茶を生み出しました。

宗円はこれを携えて江戸に赴き、日本橋の茶商山本嘉兵衛を通じて販売。宗円のお茶は江戸で流行し、現在の煎茶文化が生まれるきっかけとなりました。

山本嘉兵衛が興した山本山も宗円の煎茶の販売で莫大な財を成し、山本家は1875年(明治8年)まで毎年小判25両を永谷家に贈ったといいます。

お茶づけ海苔

【関連・参考サイト】
永谷宗円(Wikipedia)
永谷園(Wikipedia)

高血圧の日

高血圧に関する正しい情報をより多くの人に知ってもらいたいと、日本高血圧学会と日本高血圧協会が共同で制定。

日付は、世界高血圧連盟が制定した5月17日の「世界高血圧デー」と同じ日に。

高血圧 – 食塩のとりすぎに注意

血圧とは、心臓から送り出された血液が動脈の内壁を押す力のことです。

血圧は常に変動し、通常は朝の目覚めとともに上昇し、日中は高く、夜間や睡眠中は低くなります。冬は夏より高くなります。

高血圧症とは、くり返して測っても血圧が正常より高い場合をいいます。最高血圧が140mmHg以上、あるいは最低血圧が90mmHg以上であれば高血圧と診断されます。

高血圧症の原因として「肥満」「飲酒」「ストレス」「運動不足」「喫煙」などが考えられますが、日本人の高血圧の最大の原因は「食塩のとりすぎ」です。

血管の壁は本来弾力性がありますが、高血圧状態が長く続くと血管はいつも張りつめた状態におかれ、次第に厚く、しかも硬くなります。これが高血圧による動脈硬化です。動脈硬化は、脳出血や脳梗塞、心筋梗塞などの原因となります。

また、心臓は高い血圧にうち勝つために無理をすることになり、心臓肥大が起こり、心不全になることもあります。

こうした合併症を予防するためには、減塩など高血圧にならないように注意し、既に高血圧の人は血圧を正常化することが必要です。

血圧

【関連・参考サイト】
高血圧(国立循環器病研究センター)
高血圧(厚生労働省)

5月17日の記念日一覧

5月17日の記念日は全部で5個あります。

食べ物

料理や食品、食材などに関する記念日です。
「食べ物」記念日一覧

5月17日の記念日(食べ物)
お茶漬けの日 お茶の製法を発明し、煎茶の普及に貢献した永谷宗円(宗七郎)。その10代目の子孫にあたる永谷嘉男氏が創業し、1952年(昭和27年)にインスタントのお茶漬け商品「お茶づけ海苔」を発売した(株)永谷園が制定。
日付は永谷宗円の偉業をたたえ、その命日(1778年5月17日)に由来します。

病気・医療

病気や医療に関する記念日です。
「病気・医療」記念日一覧

5月17日の記念日(病気・医療)
世界高血圧デー(World Hypertension Day) 高血圧とその管理に関する啓発を目的として、世界高血圧連盟が制定。
日付は、世界高血圧連盟の事務局があるアメリカで5月が高血圧啓蒙月間であったことに由来するとされます。
日本では(特非)日本高血圧学会と(特非)日本高血圧協会がこの日を「高血圧の日」として、高血圧に関する意識を高める活動を行っています。
高血圧の日 高血圧に関する正しい情報をより多くの人に知ってもらいたいと、(特非)日本高血圧学会と(特非)日本高血圧協会が共同で制定。
日付は、世界高血圧連盟が制定した5月17日の「世界高血圧デー」と同じ日に。

国際デー

国連やWHO、ユネスコなどの国際機関が制定した記念日(国際デー)です。
「国際デー」一覧

5月17日の記念日(国際デー)
世界電気通信・情報社会デー 1865年5月17日、国連の専門機関の一つである国際電気通信連合(ITU)の前身である「万国電信連合」がフランス・パリで発足しました。
これを記念するとともに、世界中の国とより速く、より正確に連絡を取る手段として、電気通信の普及と理解を深めることを目的として、ITUが制定。

その他

その他の日付や別の記念日、各地の行事・お祭りなどに基づく記念日です。

5月17日の記念日(その他)
多様な性にYESの日 多様な性を認め合う気持ちを広めたいと、「やっぱ愛ダホ!idaho-net.」が制定し、 (特非)チーム紀伊水道が継承。
日付は、世界保健機関(WHO)が同性愛を精神疾患のリストから除外した日(1990年5月17日)から。

毎月17日の記念日一覧

毎月17日の記念日
いなりの日 いなり寿司を食べる機会を増やそうと、(株)みすずコーポレーションが制定。
日付は「17」をいなりの「い~な」と読む語呂合わせから毎月17日に。
国産なす消費拡大の日 なすの消費拡大のため、冬春なす主産県協議会が制定。
日付は、4月17日の「なすび記念日」とともに毎月17日に。
減塩の日 高血圧の予防や治療において大切な減塩をより多くの人に実践してもらいたいと、(特非)日本高血圧学会が制定。
日付は、5月17日の「高血圧の日」から、一年を通じて減塩を進めることを目指して毎月17日に。

【関連・参考サイト】
5月17日(Wikipedia)
日本記念日協会

5月17日の出来事

5月17日の出来事は「すずかけ協定に署名し、ニューヨーク証券取引所誕生へ(1792年)」「最初の屯田兵が北海道に入植(1875年)」「ブラウン対教育委員会裁判 – 分離すれど平等を覆す(1954年)」「愛知長久手町立てこもり発砲事件(2007年)」などです。

最初の屯田兵が北海道に入植(1875年)

北海道巡幸屯田兵御覧

1875年(明治8年)5月17日、最初の屯田兵が北海道に入植しました。

明治維新後、旧幕府側の武士の多くは貧窮しました。そのような士族の救済と北海道の開拓、防備を目的に、明治政府によって北海道各地に移住・配備された人たちのことを屯田兵といいます。1874年(明治7年)に屯田兵制度が設けられ、翌年から実際されました。

屯田兵は、平時は農耕に従事しながら規則的な軍事訓練を受け、戦時に兵役に就くため、西南戦争(1877)や日清戦争(1894~1895)、日露戦争(1904~1905)に動員されました。

1877年(明治10年)の西南戦争では、屯田兵の下士兵卒に東北諸藩の士族出身者が多かったことから、戊辰戦争で敵だった鹿児島県士族を相手とするこの戦争に奮い立ったといいます。

後期屯田の1890年(明治23年)からは族籍に関係なく、平民からも屯田兵を募集するようになり後期は平民がほとんどでした。

1904年(明治37年)、北海道の開拓が相当に進展し、北海道の人口も徴兵制で兵士を集めることが可能な水準に達しつつあったため、屯田兵制度は廃止されました。

【関連・参考サイト】
屯田兵(Wikipedia)

5月17日の出来事一覧

5月17日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。

5月17日の出来事
すずかけ協定に署名し、ニューヨーク証券取引所誕生へ(1792年) 1792年5月17日、アメリカのニューヨーク・ウォール街のスズカケノキの下で、24人の株式仲買人が株式取引に関する協定(すずかけ協定)に署名しました。
これが後のニューヨーク証券取引所に発展しました。
すずかけ協定(Wikipedia)
最初の屯田兵が北海道に入植(1875年) 1875年(明治8年)5月17日、最初の屯田兵が北海道に入植しました。
明治維新後、旧幕府側の武士の多くは貧窮しました。そのような士族の救済と北海道の開拓、警備を目的に、明治政府によって北海道各地に移住・配備された人たちのことを屯田兵といいます。
屯田兵は、平時は農耕に従事し、戦時に兵役に就くため、西南戦争(1877年)、日清戦争(1894年~1895年)、日露戦争(1904年~1905年)に参加しました。
後期屯田の1890年(明治23年)からは族籍に関係なく、平民からも屯田兵を募集するようになり後期は平民がほとんどでした。
1904年(明治37年)、北海道の開拓が進展し、北海道の人口も徴兵制で兵士を集めることが可能な水準に達しつつあったため、屯田兵制度は廃止されました。
屯田兵(Wikipedia)
ブラウン対教育委員会裁判 – 分離すれど平等を覆す(1954年) 1954年(昭和29年)5月17日、アメリカ最高裁における「ブラウン対教育委員会裁判」の判決で「人種分離した教育機関は本来不平等であり、アメリカ合衆国憲法に違反する」とされました。
この判決によって1896年の「プレッシー対ファーガソン裁判」における「分離すれど平等」という先例を覆し、人種統合と公民権運動への道を開きました。
ブラウン対教育委員会裁判(Wikipedia)
愛知長久手町立てこもり発砲事件(2007年) 2007年(平成19年)5月17日、愛知県長久手町で元暴力団の男が元妻を人質に自宅に立てこもりました。
男は駆けつけた警察官に発砲。玄関前に倒れたままの警察官を救うため、警官隊が突入した際に特殊急襲部隊員(SAT)1人が撃たれ死亡しました。
その後、犯人は警察の説得に応じて投降し、逮捕されました。
愛知長久手町立てこもり発砲事件(Wikipedia)

5月17日生まれの偉人・有名人

5月17日生まれの偉人・有名人は「エリック・サティ(作曲家)」「坂井真紀(女優)」「井ノ原快彦(俳優)」などです。

エリック・サティ(作曲家)

エリック・サティ

1866年5月17日、エリック・サティは、フランスのノルマンディー地方の港町オンフルールに生まれました。

幼少のころから音楽に興味を持ち、8歳のときにピアノを学びました。

1879年(明治12年)、13歳のときにパリ音楽院に入学。

20歳のときに兵役につくも、除隊後は復学せずに音楽院を退学しました。

1887年(明治20年)、21歳のときにパリのモンマルトルの芸術酒場「黒猫」でピアノ弾きになりました。この頃にピアノ曲『ジムノペディ』(1888年)など初期の代表作を作曲しています。

1890年(明治23年)、24歳のときに作家で神秘主義者のジョセファン・ペラダンと出会い、彼が主宰していた「カトリック薔薇十字団」の公認作曲家になりました。
この頃に作曲家のドビュッシーと知り合い、長く友情を結びました。

1904年(明治37年)、38歳のときに音楽学校「スコラ・カントルム」に入学し、作曲法の理論を学び直しました。

1914年(大正3年)、48歳のときに詩人・劇作家のジャン・コクトーと知り合いました。

サティ(音楽)は、ジャン・コクトー(台本)やピカソ(美術、衣装)という、当時の最先端の芸術家とともに革新的なバレエ『パラード』(1917年)を生み出しました。

1920年(大正9年)、家具のように日常生活に溶け込む音楽、意識的に聴かれることのない音楽を志向した室内楽曲『家具の音楽』を作曲。

1925年(大正14年)7月、エリック・サティは59年の生涯を閉じました。

エリック・サティは「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」と評され、西洋音楽の伝統に大きなくさびを打ち込んだ革新者とされています。大作曲家のドビュッシーやラヴェルらにも影響を与えました。

【関連・参考サイト】
エリック・サティ(Wikipedia)

5月17日生まれの偉人・有名人一覧

5月17日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。

5月17日生まれの有名人
誕生日 有名人 職業 年齢
1749年5月17日 エドワード・ジェンナー イギリスの医学者(近代免疫学の父) 73歳没
1866年5月17日 エリック・サティ フランスの作曲家 59歳没
1937年5月17日 安部譲二 小説家、タレント 82歳没
1953年5月17日 島田陽子 女優 69歳没
1961年5月17日 エンヤ アイルランドの歌手、作曲家 63歳
1968年5月17日 城之内早苗 演歌歌手 56歳
1970年5月17日 坂井真紀 女優 54歳
1976年5月17日 井ノ原快彦 俳優、歌手、タレント 48歳
1984年5月17日 生野陽子 アナウンサー 40歳

5月17日の誕生花

5月17日の誕生花は「フクシア」「エキザカム」です。

5月17日の誕生花
誕生花 花言葉
フクシア 「つつましい愛」「信じる愛」
エキザカム 「あなたを愛します」
花言葉の由来

西洋における緋色(スカーレット)のフクシアの花言葉は「taste(好み)」です。

これは「Lady’s-eardrop(女性の耳飾り)」というフクシアの英名にちなむといわれます。

フクシア(開花時期:4月~7月、9月~11月)
花言葉:「つつましい愛」「信じる愛」
西洋の花言葉:「humble love(つつましい愛)」「confiding love(信じる愛)」

フクシア
photo: manuel m. v.

エキザカム(開花時期:6月~10月)
花言葉:「あなたを愛します」

エキザカム
photo: jacinta lluch valero
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