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エマーソンの名言

1803年5月25日にアメリカのマサチューセッツ州ボストンに生まれたラルフ・ワルド・エマーソン。

その名言には「自分に何ができるかは、自分以外の者には分からない。いや、自分でもやってみるまではわからないものだ」などがあります。

超絶主義の先導者であり、「コンコードの賢者」と称されるエマーソンの生涯と名言をご紹介します。

エマーソンの生涯

ラルフ・ワルド・エマーソン

1803年5月25日、ラルフ・ワルド・エマーソンは、アメリカのマサチューセッツ州ボストンに生まれました。

牧師だった父は、エマーソンが8歳のときに病死。

14歳のときにハーバード大学に入学し、18歳で大学を卒業。兄が経営する女学校で教鞭をとりました。

1825年、22歳のときにハーバード神学校に入学。伝道資格を取得して牧師になりました。

26歳のときに結婚するも妻は2年後に死去。彼女の死に大きな打撃を受けたエマーソンは毎日墓地を訪れたといいます。

1832年、29歳のときに教会の形式主義に疑問を感じて辞職。翌年、ヨーロッパを旅行しました。

イギリスでは評論家のトーマス・カーライル、ロマン派詩人のワーズワースやコールリッジらと親交を結びました。

1833年8月に帰国したエマーソンはニューハンプシャー州コンコードに隠棲。超絶主義運動の指導者として、思索と読書と著述の生活を送り「コンコードの賢者」と称されました。32歳のときに2度目の結婚をしています。

1850年代には奴隷制に一貫して反対の立場を取り、講演活動を行うなど政治にも影響力を拡大。リンカーン大統領にも面会しています。

思想家、宗教家、詩人として幅広い活動を続けたラルフ・ワルド・エマーソンは1882年(明治15年)4月に78年の生涯を閉じました。

プラトンやカント、東洋の哲学などを吸収したエマーソンの独自の思想は、ソローやニーチェ、日本では福沢諭吉や宮沢賢治など古今東西の思想家や詩人、文学者に影響を与えました。

【関連・参考サイト】
ラルフ・ワルド・エマーソン(Wikipedia)
超絶主義(Wikipedia)

エマーソンの名言(1)

毎日毎日をきっぱりと終了せよ。
あなたは全力を尽くしたのだから。
- エマーソン -

この世で幸福以上の何かを求める人は、幸福の分け前にあずからなくとも、不平を言ってはならない。- エマーソン -

行動しなさい。
そうすれば力が湧いてきます。
- エマーソン -

芸術家は自分の芸術の犠牲にならなければいけない。
蜜蜂が自分の針に生命をかけるように、芸術家もそうでなければならない。
- エマーソン -

友情は神の楽園の中でも実を結ぶのが一番遅く、長い年月を経てようやく熟する果実である。- エマーソン -

仕事の成功に対する報酬は、その仕事を成し遂げた、ということである。- エマーソン -

人の賢さは、その人が何を望むかで計ることができる。- エマーソン -

偉大な栄光とは失敗しないことではない。
失敗するたびに立ち上がることにある。
- エマーソン -

他人とは、自分自身の心を読み取ることのできるレンズである。- エマーソン -

一粒の木の実は、いくつもの森を生む。- エマーソン -

貧しさは、貧しいと感じるところにある。- エマーソン -

悲壮感は第三者の目に映り、苦しむ者の心にはない。- エマーソン -

愛らしさのない美は、餌のない釣り針である。- エマーソン -

完全を求めることは、人間の心を悩ませるこの世で最悪の病である。- エマーソン -

常に自分の恐れることをなせ。- エマーソン -

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