1847年2月11日にアメリカ中西部のオハイオ州マイランに生まれたトーマス・エジソン。
その名言には「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」などがあります。
「この1000年で最も重要な100人」(Life誌が1999年に選定)で第1位に選出された「発明王」トーマス・エジソンの生涯と名言をご紹介します。
目次
トーマス・エジソンの生涯
1847年2月11日、トーマス・エジソンは、アメリカ中西部のオハイオ州マイランに生まれました。
幼少の頃から好奇心旺盛で、小学校に入学すると授業中に「なぜ?」を連発し、担任の先生から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、わずか3か月で中退。
トーマスは小学校の教師であった母から教育を受けました。母は探究心が強い息子のために地下室にさまざまな化学薬品を揃え、トーマスは科学実験に没頭したといいます。
17歳のときに駅で夜間電信係として勤務。何事もなければ一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るという単純な仕事でした。
エジソンは時計を使って自動で電信を送る機械を発明。これが最初の発明となるも、電信を機械に任せて寝ていたところを上司に見つかり怒られたといいます。
1868年、21歳のときに議会における賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計できる機器の特許を取得。しかし、少数派の議員による牛歩戦術ができなくなるという理由でまったく採用されませんでした。
この経験により、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もないことを痛感したといいます。
1869年(明治2年)、22歳のときに株式相場表示機の特許を取得。業界から大いに歓迎され、その特許権は4万ドル(現在の約2億円相当)で買い取られました。
1877年(明治10年)、30歳のときに蓄音機の実用化で名声を得ました。
その後も電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離装置、電灯照明などを次々と商品化。
エジソンは白熱電球の発明者ではありませんが、電球のフィラメントに京都八幡の竹を使うことで電球の寿命を大幅に伸ばし、白熱電球を実用的に改良しました。
エジソンは、生涯におよそ1300もの発明と技術革新を行ったとされていますが、電球などの家電だけではなく、発電から送電までを含む電力系統の事業化に成功したことが最も大きな功績とされています。
1931年(昭和6年)10月、エジソンは死去、84年の生涯を閉じました。
【関連・参考サイト】
トーマス・エジソン(Wikipedia)
トーマス・エジソンの名言(1)
ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。
勝負はそこからだというのに。- トーマス・エジソン -
首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。- トーマス・エジソン -
人間は思考する努力を省きたいために、ありとあらゆる方便に頼ろうとする。- トーマス・エジソン -
成功できる人っていうのは、「思い通りに行かない事が起きるのはあたりまえ」という前提を持って挑戦している。- トーマス・エジソン -
自分は毎日、18時間働くことにしている。- トーマス・エジソン -
待っている間もがんばる人にすべてのものはやってくる。- トーマス・エジソン -
困るということは、次の新しい世界を発見する扉である。- トーマス・エジソン -
絶えず変化を求める気持ちと不満こそが、進歩するために最初に必要となるものである。- トーマス・エジソン -
私が成功することができたのは、仕事場に時計がなかったおかげである。- トーマス・エジソン -
私は決して失望などしない。
なぜなら、どんな失敗も新たな一歩となるからだ。- トーマス・エジソン -
人生に失敗した人の多くは、諦めたときに自分がどれほど成功に近づいていたか気づかなかった人たちだ。- トーマス・エジソン -
成功しない人がいたとしたら、それは考えることと、努力すること、この二つをやらないからではないだろうか。- トーマス・エジソン -
権威ある本といっても、すべては人の書いたものだ。- トーマス・エジソン -
人から批判されることを恐れてはならない。
それは成長の肥やしとなる。- トーマス・エジソン -
私たちの最大の弱点は諦めることにある。
成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。- トーマス・エジソン -
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