8月15日は「終戦の日(全国戦没者追悼式)」「月遅れ盆」です。
他には「刺身の日」など全4個の記念日があります。
月日 | 記念日 |
---|---|
8月14日 | 「専売特許の日」「水泳の日」 |
8月15日 | 「終戦の日(全国戦没者追悼式)」「月遅れ盆」 |
8月16日 | 「月遅れ盆の送り火」「五山送り火」 |
月日 | 出来事 |
---|---|
8月14日 | 宮城事件 – 玉音放送を巡るクーデター未遂事件(1945年) |
8月15日 | 玉音放送 – 国民が日本の敗戦を知る(1945年) |
8月16日 | 戦時猛獣処分 – 上野動物園に猛獣の殺処分命令(1943年) |
誕生日 | 偉人 |
---|---|
8月14日 | 光緒帝(清の皇帝) |
8月15日 | ナポレオン・ボナパルト(フランスの軍人) |
8月16日 | トーマス・エドワード・ロレンス(イギリスの軍人、考古学者) |
誕生日 | 誕生花 | 花言葉 |
---|---|---|
8月14日 | センニチコウ | 「色あせぬ愛」「不朽」 |
8月15日 | ハス | 「清らかな心」「神聖」「離れゆく愛」「雄弁」 |
8月16日 | オミナエシ | 「美人」「はかない恋」「親切」 |
「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。
- ガンジー -
(インドの弁護士、宗教家、政治指導者 / 1869~1948)
以下では8月15日の記念日の由来、日本や世界の代表的な出来事、8月15日生まれの有名人や誕生花などをご紹介します。
今日は何の日(366日カレンダー)
目次
8月15日の記念日・行事
8月15日の記念日・行事は「終戦の日(全国戦没者追悼式)」「月遅れ盆」などです。
終戦の日(全国戦没者追悼式)
1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇はラジオ放送を通じて、日本が戦争に負けたことを国民に伝えました。
それは長く続いた戦争の終わりを告げる放送でした。
1945年(昭和20年)7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の3首脳が日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」を発表。
日本政府は一旦これを拒否しましたが、広島や長崎への原爆投下(8月6日、8月9日)、ソ連の対日参戦(8月8日)を経て、8月14日にポツダム宣言を受諾しました。
翌日の8月15日、昭和天皇みずからがラジオ放送を通じて日本の降伏・終戦を国民に伝えました(玉音放送)。
そして、1945年9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われました。
日本では玉音放送のあった8月15日を「終戦の日」としていますが、アメリカなどの多くの国では日本が降伏文書に調印した9月2日を対日戦勝記念日(終戦の日)としています。
毎年8月15日、東京都千代田区の日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われます。
追悼の対象は「第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人」と「空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人」の約310万人です。
式典には天皇・皇后、三権の長である内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官などが参列。
式典開始は午前11時51分、正午から1分間、黙祷が捧げられます。
追悼式は宗教的に中立な形で行われます。
【関連・参考サイト】
終戦の日(Wikipedia)
全国戦没者追悼式(Wikipedia)
月遅れ盆
お盆(ぼん)は、夏季に祖先の霊をまつる行事です。先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていくという日本古来の信仰と仏教が結びついたものです。
仏教行事の盂蘭盆会(うらぼんえ)の略語として「お盆」と呼ばれるようになりました。
もともと旧暦7月15日を中心とした時期に行われていましたが、現在は多くの地域で8月15日(月遅れ盆)を中心として、8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間をお盆としています。
お盆は、伝統的に旧暦(太陰暦)の7月15日を中心とした時期に行われていましたが、明治期の新暦(太陽暦)の採用後、新暦の7月15日に合わせると農繁期と重なって支障が出る地域が多くありました。そのためほとんどの地域では新暦の8月15日をお盆(月遅れ盆)としています。
以下は地域ごとのお盆の時期です。
新暦7月15日
東京・横浜などの大都市部や東北・北陸地方の一部の都市など農繁期と重ならない地域
新暦8月15日(月遅れ盆)
全国のほとんどの地域
旧暦7月15日(沖縄の旧盆)
沖縄・奄美地方など。旧暦によるとお盆の日にちは毎年変わります。
【関連・参考サイト】
お盆(Wikipedia)
盂蘭盆会(Wikipedia)
8月15日の記念日一覧
8月15日の記念日は全部で4個あります。
戦争・平和
戦争や平和に関する記念日です。
「戦争・平和」記念日一覧
終戦の日(全国戦没者追悼式) | 1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇はラジオ放送を通じて、日本が戦争に負けたことを国民に伝えました。 この日、東京の日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われます。 |
---|---|
すいとんで平和を学ぶ日 | 子どもたちに戦争や原爆の愚かさや悲惨さについて語り、戦時の代用食とされた「すいとん」を食べながら平和の尊さを伝えたいと、草の根平和活動「すいとんの会」が制定。 日付は、「終戦の日」が平和の始まりの日でもあるとして、平和を学ぶのにふさわしい日との思いから。 |
食べ物
料理や食品、食材などに関する記念日です。
「食べ物」記念日一覧
刺身の日 | 室町時代に官人として朝廷の政務に携わっていた中原康冨(1400頃~1457)の日記『康富記』の文安5年(1448年)8月15日の文章に、「鯛なら鯛と分かるように、その魚のひれを刺しておくので刺身、つまり “さしみなます”」という記述があり、それが「刺身(さしみ)」という言葉が初めて文献に登場したものとされていることから。 |
---|
行事・風習
代表的な年中行事や風習などです。
「行事・風習」一覧
月遅れ盆 | 夏季に祖先の霊をまつる行事。先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていくという日本古来の信仰と仏教が結びついたものです。 もともと旧暦7月15日を中心とした時期に行われていましたが、現在は多くの地域で8月15日(月遅れ盆)を中心として、8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間をお盆としています。 |
---|
毎月15日の記念日一覧
お菓子の日 | 1911年4月15日に国内最大のお菓子の祭典「全国菓子大博覧会」が初めて開催されたことから毎月15日に。 全国菓子工業組合連合会が制定。 |
---|---|
中華の日 | 中華料理の普及と全国の組合員の結束を強めるため、東京都中華料理衛生同業組合が制定。 日付は、15日がひと月の「中間(ちゅうかん)=中華(ちゅうか)」であることから毎月15日に。 |
ひよ子の日 | ひよ子本舗吉野堂が日頃の感謝の気持ちを込めて、毎月14日・15日に限定商品の販売や特典サービスなどを実施。 |
【関連・参考サイト】
8月15日(Wikipedia)
日本記念日協会
8月15日の出来事
8月15日の出来事は「玉音放送 – 国民が日本の敗戦を知る(1945年)」「薩英戦争 – 双方接近の契機へ(1863年)」などです。
玉音放送 – 国民が日本の敗戦を知る(1945年)
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の3首脳が日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」をドイツ・ベルリン郊外のポツダムで発表しました。
ポツダム宣言は、日本の軍国主義の除去、領土の限定、武装解除、戦争犯罪人の処罰、民主化、連合国による占領などを規定しています。
日本政府は一旦これを拒否しましたが、広島や長崎への原爆投下(8月6日、8月9日)、ソ連の対日参戦(8月8日)を経て、8月14日にポツダム宣言を受諾しました。
しかし、陸軍の若手将校らが日本の降伏を阻止しようと、8月14日の深夜から15日未明にかけて、クーデター未遂事件(宮城事件)を起こしました。
宮城事件は15日の朝までに鎮圧され、8月15日正午、昭和天皇がラジオ放送を通じて国民に日本の敗戦を伝えました(玉音放送)。
1945年9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で日本の降伏文書の調印式が行われました。
日本では玉音放送のあった8月15日を「終戦の日」としていますが、アメリカなどの多くの国では日本が降伏文書に調印した9月2日を対日戦勝記念日(終戦の日)としています。
【関連・参考サイト】
玉音放送(Wikipedia)
8月15日の出来事一覧
8月15日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。
薩英戦争 – 双方接近の契機へ(1863年) | 幕末の1863年8月15日、イギリス艦隊が薩摩藩に砲撃し、薩英戦争が開戦しました。 イギリスは前年9月に発生した生麦事件(薩摩藩主の父・島津久光の行列を乱したとして、薩摩藩士がイギリス人1人を死亡させ、2人を負傷させた事件)を解決するため、鹿児島湾にイギリス艦隊7隻を乗り入れ、薩摩藩に犯人の処罰と賠償金を要求しました。 薩摩藩は事件の責任がないとして要求を拒否し、8月15日から17日にかけてイギリス艦隊と薩摩藩との間で戦闘が行われました。 薩摩藩は城下町の約1割を焼失し、砲台や弾薬庫に大きな損害を受けました。イギリス軍も旗艦の艦長の戦死や軍艦の大破・中破など大きな損害を被りました。 この戦闘で双方が相手側の実力を高く評価し、これを契機に薩英間の接近がなされました。このことは幕末における政局の展開に重大な影響を及ぼしました。 薩英戦争(Wikipedia) |
---|---|
玉音放送 – 国民が日本の敗戦を知る(1945年) | 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の3首脳が日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」をドイツ・ベルリン郊外のポツダムで発表しました。 ポツダム宣言は、日本の軍国主義の除去、領土の限定、武装解除、戦争犯罪人の処罰、民主化、連合国による占領などを規定しています。 日本政府は一旦これを拒否しましたが、広島や長崎への原爆投下(8月6日、8月9日)、ソ連の対日参戦(8月8日)を経て、8月14日にポツダム宣言を受諾しました。 しかし、陸軍の若手将校らが日本の降伏を阻止しようと、8月14日の深夜から15日未明にかけて、クーデター未遂事件(宮城事件)を起こしました。 宮城事件は15日の朝までに鎮圧され、8月15日正午、昭和天皇がラジオ放送を通じて国民に日本の敗戦を伝えました(玉音放送)。 玉音放送(Wikipedia) |
8月15日生まれの偉人・有名人
8月15日生まれの偉人・有名人は「ナポレオン・ボナパルト(フランスの軍人)」「秋山竜次(お笑いタレント)」「岡田将生(俳優)」などです。
ナポレオン・ボナパルト(フランスの軍人)
1769年8月15日、ナポレオン・ボナパルトは、イタリア半島の西に位置するフランス領のコルシカ島に生まれました。
10歳のときにフランス本土の陸軍幼年学校に入学しました。
1784年、15歳でパリの陸軍士官学校に入学し、砲兵科を専攻しました。
非常に優秀な成績をおさめたナポレオンは、通常の在籍期間が4年程度のところをわずか11か月で卒業し、16歳で砲兵士官となりました。
1789年、20歳のときにフランス革命が勃発。絶対王政が倒れ、フランスは立憲王政から共和制へと展開しました。
オーストリアによるフランス革命への干渉を契機として始まったフランス革命戦争(1792~1802)が欧州各国に拡大していくなか、27歳のナポレオンは1796年にイタリア方面軍の司令官に抜擢されました。
ナポレオン軍は連戦連勝し、フランスはイタリア北部に広大な領土を獲得して、膨大な戦利品を得ました。英雄となったナポレオンは熱狂的な歓迎をもって市民に迎えられました。
1799年、フランスに帰国したナポレオンはクーデターにより統領政府を樹立しました。
1804年にナポレオン法典を公布。これは「万人の法の前の平等」「信教の自由」「経済活動の自由」等の近代的な価値観を取り入れた画期的なものでした。
同年5月、ナポレオンは皇帝に就任しました。
ナポレオンは、フランス革命への干渉をはかる欧州諸国とのナポレオン戦争(1803~1815)を戦い、幾多の勝利と婚姻政策によって、イギリス、ロシア、オスマン帝国の領土を除くヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置きました。
しかし、1814年にヨーロッパ諸国が結成した第六次対仏大同盟との戦いに敗北。ナポレオンはエルバ島に追放されました。
翌年の百日天下による一時的復権を経て、ナポレオンは南大西洋のセントヘレナ島に幽閉され、1821年5月、51年の生涯を閉じました。
ナポレオンの名言
勝利は、もっとも忍耐強い人にもたらされる。
【関連・参考サイト】
ナポレオン・ボナパルト(Wikipedia)
ナポレオン・ボナパルトの名言
8月15日生まれの偉人・有名人一覧
8月15日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。
誕生日 | 有名人 | 職業 | 年齢 |
---|---|---|---|
1769年8月15日 | ナポレオン・ボナパルト | フランスの軍人、皇帝 | 51歳没 |
1925年8月15日 | オスカー・ピーターソン | ジャズ・ピアニスト、作曲家 | 82歳没 |
1947年8月15日 | 目黒祐樹 | 俳優 | 77歳 |
1960年8月15日 | サンプラザ中野くん | ミュージシャン | 64歳 |
1962年8月15日 | 宇梶剛士 | 俳優、タレント | 62歳 |
1963年8月15日 | 麻生祐未 | 女優 | 61歳 |
1975年8月15日 | 川口能活 | プロサッカー選手(GK) | 49歳 |
1978年8月15日 | 秋山竜次 | お笑いタレント(ロバート) | 46歳 |
1978年8月15日 | 大橋未歩 | アナウンサー | 46歳 |
1979年8月15日 | ナオト・インティライミ | シンガーソングライター | 45歳 |
1989年8月15日 | 岡田将生 | 俳優 | 35歳 |
1994年8月15日 | 萩野公介 | 競泳選手 | 30歳 |
8月15日の誕生花
8月15日の誕生花は「ハス」「モントブレチア」です。
誕生花 | 花言葉 |
---|---|
ハス | 「清らかな心」「神聖」「離れゆく愛」「雄弁」 |
モントブレチア | 「謙譲の美」「陽気」 |
ハスの花言葉は「清らかな心」「雄弁」などです。
「清らかな心」は、ハスが泥水の中から生じて、気高く清らかな花を咲かせることにちなみます。
「雄弁」は、ハスがエジプト神話に登場する神のオシリスに捧げられ、オシリスが雄弁であったことに由来します。
スイレンとハスの見分け方
睡蓮(スイレン)と蓮(ハス)は混同されやすい植物ですが、見分けるには葉の形を見るのが簡単です。
葉に切れ込みがあるのがスイレン、切れ込みがないのがハスになります。
また、スイレンは水面近くで咲き、ハスの花は水面より高く上がり咲きます。
ハス(開花時期:7月~8月)
花言葉:「清らかな心」「神聖」「離れゆく愛」「雄弁」
西洋の花言葉:「estranged love(離れゆく愛)」「eloquence(雄弁)」
モントブレチア(開花時期:6月~8月)
花言葉:「謙譲の美」「陽気」